平成の31年間
昭和から平成に変わったのは小学生の頃だった。当時のことはよく覚えていない。『平成』という響きに違和感があったけれど、すぐに慣れた。
新しい元号が発表になった平成31年(2019年)4月1日。私は普通に職場にいた。いよいよ元号発表される頃、職場の親しい人やたまたま周囲にいた人で、動画を流して発表の様子を見守っていた。
テレビ番組のネット配信をセカンドモニターに写す。ある人はニコニコ動画。ある人はインスタライブ。一番スムーズに流れている動画を見ていた。
発表された元号は『令和(れいわ)』。この元号発表、改元の歴史的瞬間に今ここにいること。一緒にいる人。きっと一生忘れないとしみじみと思った。
平成を生きた
自分の世代にとっての平成は、人生の土台を作る時代だっただろう。人格形成、人間関係、健康、勉強、仕事、お金、恋愛、結婚、出産。たくさんの取捨選択。
納得していることもあるし、後悔していることもある。やり直したいと思うこともたくさんある。
自分が生きてきた平成の31年間が果たして正解だったのか。私は今、不幸じゃない。それだけで十分、正解だったと言えるのかもしれない。
上を見ればきりがない。周囲と比べても仕方がない。自分にとって一番大事なこと。”自分の思うように生きられているか?”少なくともそれは満たされている。
自立した生活をして、自分の意志で生きる。自分がやりたいと思ったことをして、やりたくないことはやらない。生活も仕事も人間関係も、ある程度は思う通りにいっている。
平成の忘れ物
後悔していることが大きなことで2つある。1つは大学に行かなかった、行けなかったこと。もう1つは結婚しなかった、できなかったこと。
どちらもまだ取り返しのつかないことじゃない。大学へ行かなかった、行けなかったのは、高校生の頃にはその意味がわからなかったから。誰も教えてくれなかったし、自分でもわからなかった。
結婚しなかった、できなかったのは、、これは運命としか言えない。愛した人、ずっと一緒にいたいと思える人はいた。だけどいられなかった。今の今、私はひとりだ。
努力が足りなかったんだろうか。いつか運命の人と出逢えるだろうか。
令和を生きる
仮に平均寿命まで生きるとして、令和かその次の元号まで、どんな人生が待っているんだろう。
いつまで健康でいられるか、いつまで楽しく働けるか、いつまでひとりで過ごすのか。考え出すときりがない。
だけど良くも悪くも先のことは思い悩まない性格。きっと令和もマイペースで、自分のやりたいことをやりたいようにやるんだろう。
今以上に人生楽しもう。
ありがとう。さようなら、平成。