メメント・モリ3~大阪の地震で感じたこと~

ある日の朝

今朝7時58分に、大阪で大きな地震が起きた。私は出勤の準備を終えて、自宅でのんびりFM802の生放送を聴いていた。

最初にちょっとした揺れが2~3秒あった。それが収まることもなくだんだん強くなり、すごい揺れになった。強い揺れは5~10秒くらいだったと思う。

自宅は築5年のマンション。低層階に住んでいるけれど、それでもかなり揺れた。倒れるような家具は置いていないし、あまり物をこまごまと置いていないので特に影響はなかった。

ただこわかった

揺れが収まってひと息ついた。ラジオの生放送はすぐCMになって、それから穏やかな曲が流れたまま始まらない。

出勤時間が迫っていた。今の感じだと電車は止まっているはず。動いていたとしても余震がこわい。自転車で行こうと即決した。

出社しないという選択肢は思い浮かばなかった。家でひとりでビクビクしながら過ごすことは絶対にしたくなかった。家より職場の方が安全に思えた。ときどき自転車で通勤していたので、迷いもなく自転車に乗った。

大阪市内を自転車で走る。あちこちの駅前に人だかりができている。やっぱり電車は止まってるんだ。実家に電話したけれど回線がパンクしているのかつながらない。とにかく誰かに会いたかった。

生を感じる

職場のあるビルに着くと、エレベーターが止まっている。息を切らせながら階段を上がる。オフィスに着くと、会社の近所に住んでいる社員の男性が2~3人いてホッとした。

のんきにシュークリームを食べている社員の男性を見て安心感を覚える。電車は完全に止まっていた。会社は自宅待機、出勤後の社員は職場待機の指示が出て、社員の1~2割が出社する程度だった。

私は不安な気持ちがおさまらず、職場の人とあれこれ話したり仕事に没頭したりした。

死を感じる

自宅で強い揺れを感じた時、とっさに東日本大震災発生後1ヶ月間くらいの映像と、発生1年後にボランティアで行った岩手県~宮城県の残像が浮かんだ。そしてその後、阪神淡路大震災の記憶が浮かんだ。

そして、死にたくないと思った。昨晩眠る前に、今年残り半分をどう生きたいか、ブログに書いたところだ。まだやりたいことがある。

簿記の試験に合格したいし、生涯のパートナーに出逢いたい。仕事もやりたいし、海も見たいし、これから自分がどう成長するのか、どう変わっていくのか見届けたい。

いつ死んでも悔いがないように生きているつもりだったけど、今死んだら悔いだらけだったことに気付いた。

夜になっても救急車のサイレンの音が鳴りやまない。こわい。明日は今までのような明日なんだろうか?今まで通りの日常の職場なんだろうか?普段通りの人たちに、普段通り会えるだろうか?

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