ゴッホについて

元旦の出逢い

元旦からずっと胸がドキドキしている。

映画を観た。「ゴッホ最期の手紙」。暇つぶし程度の気軽な気持ちで観た。東京の森美術館でエルリッヒ展を観た後、気持ちが高揚していたそのままの感覚で観た。

「ゴッホ最期の手紙」は予想外にアニメだった。油絵のアニメだった。ゴッホの絵が、ゴッホの心を切り取った絵がそのままに動いていた。

知りたい

私はゴッホを知らなかった。もちろん名前は知っていたし、代表作品は知っていた。自分の耳を切り取った人っていうことも知っていた。一般的な知識はあった。だけど、全然ゴッホのことを知らなかった。

元旦に映画を観てからずっとゴッホのことで胸がいっぱいで、ゴッホが何を感じてどう生きたのか、知りたくて知りたくて、過去の映像や解説や作品の画像を漁っていた。ゴッホが今の私と同世代で亡くなっていたことにも強烈に興味が惹かれた。

愛の人

ゴッホのことを知れば知るほどその異常性とあたたかさに胸を打たれた。ゴッホは熱い人だった。異常なくらい人を愛した。孤独な人だった。さみしい人だった。あたたかさを求めていた人だった。強くもあり弱くもあった。

自分の耳を切り取った話は、一緒に絵を描いて暮らしていた画家のゴーギャンとトラブルがあって追い詰められた末の出来事だった。

有名なひまわりの作品は、ゴッホが絵を描いて暮らすために用意した画家のための家を飾るために描いた絵だった。

ゴッホは27才から絵を描き始めて、描いて描いて描きまくった。そして生活を支えてくれていた弟で画商のテオに、手紙を書きまくっていた。私はその手紙を読みまくった。

苦悩の人

ゴッホは精神病院に出たり入ったりしていたけれど、病院でも絵を描き続けた。「星月夜」も病院で描いた絵だった。

ゴッホは絵に光を入れようと必死だった。南フランスのアルルで絵を描いていたときは、光に執着していた。日本の浮世絵にも影響を受けて、日本の光を夢に見ていた。

ゴッホは人を愛した。愛しすぎて自分を苦しめていた。弟のテオだけはゴッホが愛した分だけゴッホを愛していた。ゴッホの精神が壊れたのは、やはりテオが結婚して子供が生まれたせいだったのか。

テオの愛情に不安を感じて、ゴーギャンが去って、孤独と不安に押し潰されたんだろうか。

それからのゴッホの絵はどろどろした感情そのままで、死を意識したような作品が多かった。ゴッホは糸杉の木をよく描いた。糸杉は、死を連想する木だそうだ。

生と死と

ゴッホは自殺した(と言われている)。ゴッホは死にたかったんだろうか。死にたくて自殺したんだろうか。生きたかったんじゃないだろうか。苦しかったんだろうか。苦しみに押し潰されされたんだろうか。もう絵を描きたくなかったんだろうか。

描いて描いて描きまくるのに疲れたんだろうか。死ぬまで絵を描いていたゴッホ。幸せだったんだろうか。

ゴッホに会いたい。どんなことを感じてどんなことを話すのか、どんなふうに笑うのか。たくさん笑ったのか。悲しみの多い人だったのか。

今の私と同じだけ生きたけど、きっと私が一生かかっても感じられないことを感じた人だったんじゃないだろうか。豊かな人だったんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。

スポンサーリンク
Twitterはこちら

フォローする