メメント・モリ2~1年振りに死生観について考える~

死について生について

ちょうど1年ほど前に、死について考える機会があって記事にしていた。そのきっかけを与えてくれた同世代の女性が先日闘病の末亡くなって、改めて死について考えていた。

死について考えるということは生について考えるということだ。死生観なんて1年やそこらで変わるものじゃない。1年前に漠然と抱いていた”別に死ぬなら死んでもいいか”、というドライな気持ち。1年前に比べると薄まっている。かと言って”生きたい”、っていうほどの強い思いはない。

生きたいか死にたいかのアンケートを自分で作って自分で答えてみる。

  1. 何がなんでも生きたい
  2. できれば生きたい
  3. どちらでもいい
  4. できれば近いうちに死にたい
  5. いつ死んでもいい
  6. どちらでもない
  7. その他

うーん。自分で作って悩む。自分の回答は、限りなく3に近い2のできれば生きたいかな。1年前は完全に3のどちらでもいいだった。生きてても死んでてもどちらでもいいなんて、死んでるようなもんだよな。そう考えると少しは生きることに対して前向きになったのか。

生き方について

いつ死ぬかは誰にもわからないけれど、死ぬときに絶対に後悔したくない人生を過ごしたいという思いは忘れていない。誰だってそうだと思う。

いろんな事情や環境が人それぞれあって、不本意な日々を過ごしている人も多いこの世の中で。自分の好きなことをする。好きなように生きる。自分の納得したことしかしない。そんな生き方をしたい。自分の心に忠実に。それがどれほど大変なことか。

実現できる人は一部の人で、多様な生き方が許容される世の中にはなってきてはいるけれど、自分を含めた大半の人は、自分の好きな生き方かどうかより、一般的、あるいは普通と言われる生き方を選ぶ。圧倒的にその方が楽だから。人と違う生き方をするのは大変なことだと思う。だけどとっても幸せなことだと思う。

私が最近の人生の中で生きてることを実感するのは、海を見てる時と朝日を見てる時、人を愛した時と愛された時。そう考えると、仕事やお金や諸々の俗物的なものは本当に自分にとっては価値が低いものなんだなと思う。

愛する人と海のそばで暮らす。それが私のしたいことなのかな。まだ私は道の途中にいるんだと思う。どう生きるか早く決められる人もいればそうでない人もいる。不可抗力で生かされるまま生きる人もいる。

私はまだ考えている。ひょっとしたらどう生きるか考えているうちに死ぬかもしれない。だけど考えていられるのは、それはそれで幸せなことだと思う。まだいろんな選択肢が私にはある。あなたはどんな生き方をしたいですか?

メメント・モリ
死を想え この数年、私は生きることに対してとてもドライな思いをもっていた。死にたいわけではないし生きていていることは楽しい。 ...
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