全てを手に入れた人々
今の職場で働く人たちは社会的に高いポジションにいる士業の先生たちで、格差社会の上の方にいる人たち。京大や神大あたりの出身者がごろごろいて英語はペラペラだし専門家としても成功している。
自分みたいな一般庶民がよくこんな人たちと仕事できるなと思うけど、ここまで成功している人って人間性もできていて、親切で穏やかな人ばかり。中途半端に小銭稼いでいるくらいの人の方がよっぽどタチ悪い。
そもそも働く必要性のない人も多い
今の職場で半年以上が過ぎて、人となりもわかってくる。もともと家柄の良い人が多く、資産家のお坊っちゃんお嬢様。奥様や旦那様もハイステータスで、話を聞いているとこんな世界があったんだと驚きしかない。
生活のために仕事をしているわけではなく、自己実現のために仕事している、と職場の人が言っているのをハッキリ聞いた。生きるためのお金はすでに持っているらしい。
なんともまぁ羨ましい話だけど、なぜか私にはその人がさみしそうに見えた。立派な仕事があり仲間もいて、奥様や子供もいてお金もあっていい家に住んで良いものを食べて良いものを持って。
これ以上いったい何が欲しいんだろうと、不思議に思った。
お金がありすぎる不幸
人間って、本当にお金に振り回される動物なんだと思わざるを得ない。お金はあってもなくても大変。
あるにこしたことはないんだろうけれど、あるがゆえの苦悩を目の当たりにして、私からすると本当に贅沢な悩みにしか見えないんだけど、当事者はけっこう苦しんでるように見えて、茶化すこともできなかった。
何でも手に入れられるからこそ、何が本当に大事なのかを見つけられない、そんな印象を受けた。
お金がない幸せ
私は正直言ってお金にはほとんど興味がない。
子供の頃はそこそこ貧乏で、狭い団地に家族4人でほそぼそと暮らしていた。中学~高校あたり、両親は商売を始めて、バブルの恩恵もあったと思うんだけれどそこそこ成功して、小金持ちになった。
貧乏から小金持ちになる家で育って、その過程を目の当たりにして、私は子供ゴコロに思った。
お金で幸せは計れない。貧乏だった頃と小金持ちになった後、どちらが幸せか、私には答えが出せなかった。
人はお金持ちになりたがる
たいていの人はお金持ちになりたがる。私だって自分の力でお金持ちになれればそれに越したことはない。だけど、お金持ちになりたいのと幸せになりたいのを、同列に語るのは危うい。
幸せの価値はお金で計れないし、計っちゃいけないとも思う。実際、私自身はお金持ちじゃないけどそこそこ幸せだし、職場の自己実現のために働いている人を見て自分と比べて卑屈に感じることもなかった。
他人からどう見られようと、自分が幸せなら、それでいいよね。