メメント・モリ

死を想え

この数年、私は生きることに対してとてもドライな思いをもっていた。死にたいわけではないし生きていていることは楽しい。

親より先に死ぬことはしたくないからもし親が明日死んだらあさって以降死んでもいいかと本気で思っていた。

妹や友人たちにはしっかりしたパートナーがいる。私自身もこれまでいい出逢いがあってほどほどの経験もして、愛する彼と幸せな時間も過ごして、自分にはもうこれ以上の幸せはないように思っていた。

これから生きていても今の幸せからただただ落ちていくという不安の方が大きかった。

幸せの濃度

今の彼は他人と込み入った関係を築くことに拒否意識をもっている人だから、今以上に彼と深く結ばれることは今の状況からは考えにくい。

出産についての強い希望はないけれど、いつかは自分の家族をもちたいという夢があって、その夢をあきらめて過ごしても、彼と一緒にいることをあきらめて過ごしても、どちらにしても自分にとっては生きていく価値が薄まるように思えていた。

だけど最近、同世代の女性が命に関わる病気を患っていることをニュースで見て、死ということを客観的に考えることがあった。

その女性の旦那様が会見をしていて、その想いを聴いて、自分の死生観がはずかしくなった。

生きろ

大事に想ってくれる人がそばにいてくれる。なのに死ぬことにドライで生きることにドライで、そんな自分は心底バカな人間でそれこそ生きてる価値ナシだと思った。

会見を見ていて強く思ったのは、守るべきものができた男性っていうのは、あんなにも強く優しくキラキラしているものなんだろうかということ。以前の印象とまったく違っていてびっくりして感動さえした。

自分もいつかあんな風になれるだろうか。大切な人を守って守られて支えて支えられて、明日か来年か何十年後かいつか死ぬまでに、そんな幸せが自分に訪れるだろうか。

スポンサーリンク
Twitterはこちら

フォローする