連休中にカメラを持って出かけた。幼なじみの出産のお祝いで、自宅にお邪魔して生まれたばかりの赤ちゃんを撮らせてもらった。
初めての人物撮影が新生児なんて、なんか縁起がいい感じ。幼なじみはすっかりママの顔になっていて、優しい旦那様とカワイイ赤ちゃんと、おそらく世界で一番平和な場所がそこにはあった。
そしてすごく不思議だったのが、心の底からあたたかくて癒しの感情を受け入れてる自分がいたこと。
友人の結婚・出産ラッシュは一通り見送ってきて、いつもうれしくお祝いの気持ちがあったのは本当。だけどそんな友人達と自分の境遇を比べて、モヤモヤする気持ちがあったのも本当。
特に結婚すると思っていた人と別れた後から婚活していたあたりの数年間、30~32才あたりか、、周囲の結婚・出産話にはかなりナーバスになっていた。
幼なじみはもう家族みたいな感覚だから、赤ちゃんに対しても家族愛に近いものがあるのかもしれないけれど。だけど数年前の自分とは明らかに違う感情がわいてきて、いろいろと考えさせられた。
あきらめた、、とはちょっと違う。受け入れた、、認めた、、っていうのが近いのか。自分の生活圏内にいる大多数の人が選んでる生活。
結婚する、子供をもつ、家庭をもつ、生活の安定、人生の確定、老後の安心、そういう大切なものと思われるものと同等に大事にしたいものがあるってこと。
自分の幸せの基準は、一般的に大切なものと思われるものとは違うのかもしれない。彼と出逢ったおかげで、私は自分の幸せの価値観に気付いた。
マイノリティな人生を送っていた彼を好きになった自分が本当に自分らしくて幸せだった。世間一般の人達が選ぶ選択をしない自分。できない自分。
それを今までずっとずっと認められなかった。だからずっとモヤモヤしていた。だけどこの半年いろいろ考えては、っきりとわかった。
結婚や安定はとっても大事なこと。
だけど私にとっては優先事項ではない。本当に自分が納得できる人と一緒にいたい。
1度そういう人に出逢ってしまったら、もう婚活には戻れないと思う。婚活に戻るとしたら、それは私にとっては人生あきらめた時。
時間かかってもいい。途中でのたれ死んでもいい。絶対的にこの人だと思える人と一緒にいたいと思う。これって成長なのかバカになってる一方なのか、どこに向かってるのかあいかわらずわからないけれど。だけどなんかすっきりした。