婚活の常識非常識
先日、数年ぶりに参加した婚活パーティーでカップルになり数ヶ月ぶりに男性と食事をして。普通に楽しかった。いや、普通以上に楽しかった。気軽な婚活パーティーとはいえ、お互いに選び合ってカップルになった。私は第一希望の人だったし。
どんなご縁になるかは誰にもわからない。食事をして私は楽しかったけど相手にはやっぱりナシだなと思われた可能性もある。
本気で婚活してる人なら他にも婚活パーティーの予定や相談所でも活動しているかもしれない。本気のお付き合いを決めるまで、並行でいろんな異性に会うのはもはや婚活では当たり前のこと。切ったり切られたり、フェードアウトは日常茶飯事。
私は婚活パーティーでいいなと思える人と一度カップルになっただけだけど、他にももっといろんな人と出会うために活動しなきゃならないとは思う。思うんだけど、その一方で、どうでもいいような、ここまできたら誰でもいいような、そんな思いもある。
考えるな、感じろ
こうやってこつこつ出会いの場に出かけていいなと思えるような人に出会えたとして、そこからどうやってその人を好きになるんだろうと、そんなことを考えてしまう。
前の彼を好きになったときは本当にもう直感的に好きになっていて、あれこれ考えることがなかったから。彼を初めて知ったときのエモい感情は今でも忘れない。
好きになって仲良くなりたいと思って会いに行って、付き合う前に一回ふられたけど、好きという気持ちが幸せで楽しくてふわふわしてた。
一緒にいられたら幸せになれる確信的な盲信的な感覚があって、そしてそれは実際に当たっていたし、最後の最後までその気持ちを失うことはなかった。彼には迷惑をかけて結果彼を失ったけれど、そんな自分の気持ちはずっとずっと失わなかった。
未来の話と思い出話
ふわふわと幸せに人を好きになることなんていったいどうやったらできるんだろうと、過去の自分に教えてもらいたい。パーティーでカップルになった男性と食事をしながら、この人を好きになることができるんだろうかと、しみじみ考えていた。
この人に限らずこれから出会うだろう人にふわふわとしたエモい感情を感じることができるんだろうか。それを感じられる人と出会うまでがんばらなきゃダメなんだろうか。
私の今の願いは、もう誰とも別れたくない。ただそれだけ。だからずっと一緒にいられると思える人と出会うまでがんばるか、誰とも深く付き合わないか。そのどちらかしか道はない。
自分にとって豊かな人生の選択
誰とも深く付き合うことのない人生か。それは無味でさみしいな。私は一人の気楽さや自由さは大好きだけれど、一人の息苦しさや生きにくさ寂しさ不自由さと天秤にかけると、やっぱり一緒に生きていける人が隣にいてほしいと思う。
明日何しようとか来年どこ行こうとかそんな話をしたり、何年経っても何十年経っても一緒に思い出話ができる人がほしい。あの映画おもしろかったねとか、あの場所は素敵だったねとか、あれはおいしかったねとか、そんな些細な思い出話ができる人がずっとそばにいてくれたらなと思う。
うん。がんばらないとな。